「天は二物を与えず」の別解釈

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「天は二物を与えず」という諺がある。

辞書には「天は一人の人間に、それほど多くの長所を与えることはしない。」と書かれているが、これは明らかに嘘である。

少し人の多いところに行って周りを見れば分かるが、二つも三つも長所を持っている人間なんてざらにいる。イケメンや美女に限って性格が良かったりするし、裕福な家に生まれて頭も切れる鼻持ちならない奴もいる。

今に始まった話ではない。平安時代にも鎌倉時代にも江戸時代にも、天は二物を与えていたに違いないのである。

この「理不尽な嘘」を誰が言い出したかは不明だが、現在世の中に広く認知されているということは、本来は釈然とする解釈があったのではないかと考える方が自然だと思う。

そこで別解を考えてみた。

天は二物を与えずとは、「得意なこと」と「好きなこと」は滅多に一致しない、という意味である。

得意なことと好きなことが一致するのは一握りの天才だけなのだ。

例えばイチロー。私も大好きな選手だが、もしイチローがサッカーの方が好きだったら多分日本代表にはなっていなかのではないかと思う。

例えば将棋の藤井聡太さんは息抜きに詰将棋をするそうだが、もし息抜きに別なことをしていたら現在ほど突出した存在にはなっていなかったのではないか。

仮定の話なので分からないけどね・・・

多分誰でも、なんか色々やってみたら得意なこと一個か二個か三個ぐらいあると思うんです。でも人生を賭ける熱量があるか。逆に熱中することに限って才能が無かったりする。

二つのピースがぴったり嵌まるかどうかが天才とそれ以外を分けているのではないかと私は思うんです。

とりあえず、多分誰でも才能の二個や三個は持ってます。きっともっとある、気付いてないだけで。

そうだと思いたい。

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