国家というコミュニティ

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人は独りでは生きていけない。社会性を発揮し、他者と共存共栄することで発展してきた生物である。

逆に言えば、集まることが恩恵にならない集団は社会的に悪である。利害の一致しないコミュニティに所属するぐらいなら、孤独な方がマシなのだ。

国家は、地理や言語や民族など複合的な要因で団結したコミュニティだが、人々が団結しているからには、国家もまた利害の一致した集団でなければならない。

紀元前2000年以上前に古代文明が誕生してから現在に至るまで、世界の歴史の主役は国であった。フランス革命以降は、国民が主権を持っている国民国家が増えてきているはずなのだけれども、むしろ最近では、富裕層・権力層と貧困層労働者層の格差や分断は拡大している傾向に思える。

また、ノイジーマイノリティ、LGBT、ポリティカルコレクトネスなどの単語を耳にすることも増えた。

これらの問題はインターネットやスマートデバイスの普及による副作用として説明可能だと思う。

要は、誰でもいつでもどこからでも世界中に発信できる時代になり個人が発信力を持ったことで、国民国家として利害の一致した集団として団結できなくなってきた、と言えるのではないか。

国家が以前ほど一枚岩なコミュニティではなくなってきていると仮定すると、今後はそれぞれが、国家という枠組みから逸脱して、より自分に合ったコミュニティ作りや居場所探しをしていかなければならなくなると思う。

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